+++ 飛 翔 +++
13.届かぬ声 戦場にその声は鳴り響いた。 ただただ、真っ直ぐに。その想いを乗せて。 <私はオーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハ!オーブ軍!ただちに戦闘を停止せよ!軍を退け!> 混乱した戦場の中、蒼い翼を持つ機体が紅の機体を守るように舞う。 オーブ連合首長国代表カガリ・ユラ・アスハの証である獅子の紋章が刻まれた機体。 そこから流れ出す声は、紛れもなくオーブの長のもの。 <現在、わけあって国元を離れてはいるが、このウズミ・ナラ・アスハの子、カガリ・ユラ・アスハが、オーブ連合首長国代表首長であることに変わりはない!その名において命ずる!オーブ軍は、その理念にそぐわぬこの戦闘をただちに停止し、軍を退け!> オーブ軍がこの戦いを望んでいないことは誰もが分かっている。 他国の争いに介入しない、それが長年守り抜いてきたオーブの理念だ。 それを覆さざるを得なかったのは、地球軍と結んだ同盟条約のため。手を結ぶと約定した以上、地球軍の敵はオーブにとっても敵という存在になってしまうのだ。例え、明らかに地球軍の方に非があると分かってはいても。 祖国を守るため、戦うしかない。 だから、いま戦場にいるオーブ軍はカガリの声を聞き入れてはくれなかった。 膠着状態になった戦いも、すぐさま戦闘は再開される。 ザフト軍、オーブ軍が加わる地球軍、そしてアークエンジェルという三つ巴の状態で。 どんなに争いを厭い、止めたいと願っても、実際にそうすることは難しい。 それを嫌というほど知り、また経験してきた。同じことが繰り返されようとしている。 まるでそれを悲しむかのように、自由と大天使を冠する者たちは、青い空と海を舞った。 次々に落ちていくオーブ軍の機体。 オーブの者たちによって傷つけられていく、ザフト軍。 これらを、この状況を生み出すことを許してしまったのは、ほかならぬ自分だ。 動くこともできず、ただ戦場を呆然と見つめるカガリの瞳には涙が浮かぶ。 なぜ、こうなってしまうとあのとき考えられなかったのだろうか。 自分の決断で、大切な命がこうもたやすく失われてしまうというのに。 二年前、同じ状況にあった父がくだした決断が、甦る。 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。 我らオーブがこれを理念とし、様々に移り変わっていく長い時代の中でもそれを頑なに守り抜いてきたのは、それこそ我々が国という集団を形成して暮らしていくにあたり、最も基本的で大切なことと考えるからです。 いまこの状況下にあっても、私はそれを正しいと考えます。 地球軍の軍門に降れば確かに、いま武力による進攻は避けられるかもしれません。 しかし、それは何より大切なオーブの精神への…いや、人としての精神への侵略を許すことになるでしょう。 いま陣営を定めねば討つという地球軍。しかし、我々はやはりそれに従うことは出来ません。 いま従ってしまえば、やがて来るいつの日か我々はただ、彼らの示すものを敵として命じられるままにそれと戦う国となるでしょう。 それでも祖国を焼いてしまう結果になると分かっていて、父は苦渋の表情を浮かべていた。 だが、それによって人としての意思が守られたのは確かなのだろう。他国を理不尽に傷つけるという道を、オーブがとらずに済んだのは父が地球軍に降ることをよしとしなかったからだ。 けれど、そのために傷ついたひともいて。あの燃えるような紅の瞳を持つ少年を、カガリは忘れることは出来ないだろうと思う。大切なひとを失った彼の憎しみや悲しみはあまりに深く、自分の心は揺らいだ。 あんな想いを生み出してはいけない、そう思って、オーブを守ろうと下した決断だったのに。 結局は、こうして戦火を自国にもたらしてしまった。 父の憂いていた結果を呼んでしまった。 自分はどうすればいい、どうすれば正しい道を選べる。 いま死んでいく者たちへ、どう詫びればいいというのだ。 あの美しく、宝珠のように輝いていた祖国を取り戻すために。 大切なひとたちがただ笑っていられる世界を作るために、いま、何ができるのだろう。 そう嘆くカガリの声は、戦場の爆音の中に消えていった。 とりあえずの戦闘は終わり、アークエンジェルはダーダネルスを去って再び潜航する。 フリーダムを収納し終えたキラは、機体の外へ出てぐるりと格納庫を見回した。 すでにストライクルージュは戻ってきているようで、整備士がメンテナンスをしているのが見える。 「よう坊主、お疲れさん」 「いえ。あのマードックさん、カガリは…」 「嬢ちゃんなら、ピンクの嬢ちゃんが付き添ってったぜ」 「あ、そうですか」 なら、少しは安心かもしれないとほっと肩の力を抜く。 ヘルメットを脱いで頭を振ると、お前さんもさっさと休めとマードックに思い切り背中を叩かれた。それに思わず咽そうになりながら、はいと苦笑して歩き出す。スーツの前を楽にしてロッカーへと向かう途中、ふとキラの表情に翳りが差した。 分かってはいたが、やはり何もできなかったという事実は重い。 一度開かれた戦端を止めることがいかに難しいか、それは自分たちもよく分かっている。 だから覚悟していたつもりだった、それでも。 通信から聴こえてきたカガリの嗚咽には、胸が痛んだ。 ロッカーに辿り着いてスーツを脱ぎ、近くのソファに放り投げる。 そのままシャワールームに入って汗を流す。少しお湯の温度を下げて、頭から水をかぶった。 あの戦闘で、どれだけの命が失われたのだろうか。 できるだけ殺さずに済むようにと努力はしたけれど、そんなのは焼け石に水のようなもの。 戦場でそれは綺麗事だと分かっているのだ。どうあっても、命は失われる、それが戦場なのだから。 きっと自分のせいで失われた命もあるのだろう。 最初にミネルバの陽電子砲も撃ち抜いてしまったから、きっとあの艦にも被害は及んだはずだ。 「………やっぱり、キツイな」 戦いを終わらせたいと願いながら戦う矛盾。 命を奪うことを哀しいと嘆きながら、この手はたくさんの命を奪っている。 だが、いままここで立ち止まるわけにはいかない。 頭を振って水気を払うと、キラはバスローブを羽織ってシャワールームを出る。 すると、先ほど脱ぎっぱなしにしていたパイロットスーツを手に片付けようとしてくれているラクスがいて。なぜ彼女がここにいるのかとぽかんとしてから、キラは慌て出した。 「え、あ、ラクス!?」 「キラ、お疲れ様でした」 「う、うん…?」 ふんわりと柔らかい笑みを浮かべられ、ついこちらも頷いてしまうけれども。 いや、男の更衣室になんでラクスは入ってくるんだ。もうちょっと警戒心持ってくれても…。 「こちら、洗濯に出しておきますわね」 「い、いや、いいよ!僕が自分で出しに行くから!」 「いいえ、私の仕事ですもの」 「う…そ、そう」 人数の少ないアークエンジェルでは洗濯などの作業は分担してやる、もちろん男女関係なく。 しかしラクスは管制の役目があるとはいえ、基本的には仕事がないからと洗濯や料理などの仕事を自発的に行ってくれることが多い。申し訳ないと思うのだが、キラがやるよりも仕事が速いのは事実で。情けない気持ちと共に、いつもお願いすることになってしまっていた。 がっくりと肩を落としてお礼を言えば、いいえとたおやかな笑みが返ってくる。 ……むしろ、嬉しそう? 「あ、ラクス。カガリは?」 「いまはお休みになってますわ。……少し、お疲れになったようですから」 「…うん」 「キラも、お休みになってくださいな」 「………ラクス」 「はい」 「あとで、歌聞かせて」 「はい、私でよろしければ喜んで」 嬉しそうに微笑む少女にキラも笑みを浮かべ、じゃあちょっと外に出ててねとお願いする。 え?と不思議そうに空色の瞳を瞬く少女に、着替えるからと真っ赤な顔で説明する。いま自分はバスローブ姿なのだ、なんという格好をしたままなのだろうか。 それにラクスもようやく気づいたようで、まあと頬を赤く染めてロッカールームからするりと出ていった。 本当に、心臓に悪い。 それから数日は、奇妙に静かに過ぎていった。 オーブの本来の意思を示すことは出来たものの、状況は最悪といってもいい。 オーブ軍や地球軍から追われる立場だったアークエンジェル。 今回の介入で、恐らくザフトからも目をつけられることになるだろう。 いまの戦力ではそれは厳しいどころの話ではないのだ。 マリューやバルトフェルドが難しい表情で話し合っている風景をよく見かける。 そしてカガリが考え込んでいる姿も。 それぞれに、それぞれの戦いを続けている。 では自分は? その問いが浮かぶことがラクスの中では増えていた。 キラはフリーダムという剣をもって戦い、アークエンジェルのクルーたちもそれに加わる。 そしてカガリはオーブの代表として、ひたすらに真っ直ぐな想いを訴え続けている。 ならば、自分には何が出来るのだろう。 そんなときに頭に浮かぶのは、プラントにいるもうひとりの自分の姿。 さらに自分の命を奪おうとした者たちの存在。 それらの真偽を確かめるために、より多くの情報が必要なのではないか。 そう思いはじめていた。 「艦長!」 チャンドラの声にマリューが不思議そうに振り返る。 どうやら電文が届いたらしく、その送り主が自分たちのよく知る人物だというのだ。 <ダーダネルスで天使を見ました。また会いたい。赤の騎士も姫を捜しています。どうか連絡を> そして電文の最後には、ミリアリアという名が連ねてあった。 懐かしい名前にマリューは目を丸くし、キラたちをすぐに艦橋へと呼び集める。 呼び出された面々はどうしたのかと怪訝な表情を浮かべていたが、届いた電文に目を通すと、やはり先ほどのマリューと同じ反応を示した。それに、この電文の内容は。 「ミリアリアさん…?」 「赤の騎士……」 「…アスラン?」 赤の騎士が姫を捜している。赤の騎士、と聞いて浮かぶのはいまここにいない仲間。 先の大戦ではイージス、ジャスティスと、どちらも真紅の機体を駆っていた。 アスランがカガリを捜している、そう解釈するのが妥当なのだろう。 嬉しそうに笑みを見せるカガリとは対照的に、キラは押し黙った。 その横でマリューがクルーたちに声をかける。 「ターミナルから回されてきたものなんでしょ?」 「はい」 「ダーダネルスで天使を見たって……じゃ、ミリアリアさんもあそこに?」 「彼女、いまはフリーの報道カメラマンですからね。来ていたとしても不思議ではありませんが……」 「アスランが……アスランが戻ってきているんだ!キラ!」 「………」 「プラントから、ということか?」 眉を顰めて考え込むキラの代わりに、バルトフェルドが肩をすくめて呟いた。 「さァて、どうする、キラ?誰かにしかけられたにしちゃ、なかなか洒落た電文だがな」 「でも、ミリアリアさんの存在なんて……」 「確か……彼女は知っているはずですよね。この艦への連絡方法は」 「あ……」 そこでようやく、カガリにもこれが罠の可能性があることにも気づいたらしい。 そう、アークエンジェルで管制をしていた彼女なら、わざわざターミナルを間に挟むことをせずともこちらと連絡をとる手段を知っているはずなのだ。 不安げなカガリの横で、ラクスも気遣うように眉をひそめて状況を見守る。 「キラ……?」 「……会いましょう。アスランが戻ったのなら、プラントのこともいろいろとわかるでしょう」 バルトフェルドはしかしなぁと微妙な表情を浮かべるが、カガリの顔には喜色が宿る。 キラとしてもバルトフェルドの心配は分かる。アスランがプラントから戻ってきて、そして自分たちを捜しているとなると、警戒した方がいいのかもしれない。彼がどういう意図で、自分たちを捜しているのか分からないのだから。 それに、なんとなくキラの胸には言葉に出来ない不安が渦巻いていた。 プラントのラクスのこともあるし、用心はすべきだろう。 「でもアークエンジェルは動かないでください。僕が一人で行きます」 「え……?」 戸惑うように視線を揺らすラクスに、安心させるようにキラは微笑む。 「大丈夫、心配しないで」 「私は一緒に行くぞ!」 「カガリ……、……いいよ。じゃ、僕とカガリで」 真っ直ぐなカガリの視線に折れて、キラは頷いた。 こうなった姉を止めることが出来ないことは、これまでの付き合いでよく分かっていたから。 約束の場所へとフリーダムに乗ってやって来たキラは、機体を岩陰に隠すとカガリの手をとって崖を上っていった。夕日がエーゲ海をオレンジに染め上げ、目を細める。 すると、ジープがやって来て、そこに懐かしい友人の姿を見つける。 彼女もこちらに気づいて、満面の笑みで車から飛び降りると駆け寄ってきてくれた。 「キラ!」 「ミリアリア!」 変わらない、彼女の笑顔は。 いや、以前よりもさらに強く輝いているかもしれない。 「ああもうホントに!信じられなかったわよ、フリーダムを見たときは!花嫁をさらってオーブを飛び出したっていうのは聞いてたけど」 「いや、その話は……あの……それより、アスランは?」 戸惑ったような表情でミリアリアの言葉から逃げたカガリは、愛するひとを探す。 それはそうだろう、オーブから彼が出国して以来会っていないのだ。 その後で同盟条約やら結婚騒動やら色々あって、なんの説明も出来ないまま国を飛び出して。 アスランはどうしているのかと、カガリがいつも気にしていたのは知っている。 左手に戻った指輪に彼女が触れているのを何度か見た。 だが、カガリに尋ねられた内容にミリアリアは表情を曇らせる。 「……ごめん。用心して通信には書けなかったんだけど……彼、ザフトに戻ってるわよ」 「ザフトに…?」 「アスランが!?」 嫌な予感はあった。 けれど、まさか、と思い続けてきて。 驚愕するカガリとキラの髪を強い風がなぶった。 空を見上げると、真紅の機体が夕焼けに染まる景色の中こちらへ近づいてくるのが見える。 「あの機体……」 ぽつりとキラは声を落とす。見覚えのある機体だった。 つい先日のダーダネルスで起きたザフトとオーブ軍の戦いのときに、戦場にいたはず。 まさか、とアメジストの瞳を見開くキラの前に。 真紅の機体からゆっくりと下りてきた青年は。 青みを帯びた髪を揺らし、翡翠色の瞳に言いようのない感情を宿して見据えてきた。 NEXT⇒◆ |