+++ 飛 翔 +++
16.決意の微笑 海底に潜航しているアークエンジェル、その展望室から見る景色は美しい。 エーゲ海に沈む遺跡に、音も無く降るマリンスノー。 深い青い景色の中、はらはらと白い欠片が舞い落ちる様は神秘的ですらあった。 もうそこにひとは住んでいないのに、まるで地上の街に降る雪のよう。 それらをぼんやりと眺めていたキラの耳に扉が開く音が聞こえてきた。 「キラ」 「…ラクス」 柔らかい声が耳を打ち、わずかに振り返れば桜色の髪を揺らした少女が立っている。穏やかな微笑みを浮かべたまま歩み寄る彼女の足元には、いつも通りピンクのハロがころころと付き従っていた。 「ここでしたか」 「うん」 <ハロ、ハロ、ザンネン!> アスランとの対話以来、沈み気味の自分やカガリを彼女は気遣ってくれている。 姉弟そろって迷惑をかけてしまい、申し訳ないと思ってはいるのだが。 小さく苦笑するキラの横に寄り添い、ラクスはガラスの向こうに広がる海の景色にサファイアの瞳を細めた。 「綺麗ですわね…。地球って不思議」 「…そうだね」 少女の腰を抱き寄せれば、自然と頭を肩に預けてくれる。 腕に感じる温もりが愛しくて、キラも静かに景色へと視線を向けた。 近くでハロがいつものように飛び跳ねて、賑やかな声を聞かせてくれる。 穏やかな沈黙を破ったのは、ラクスからだった。 「アスランのことを?」 やはり自分が何を考えていたのかはバレバレらしい、と苦笑する。 だからキラは気負うことなく、うんと頷いた。 「何が本当か…彼の言うことも、分かるから。また、よく分からなくて」 「そうですわね…」 「プラントが本当にアスランの言う通りなら、僕たちは…」 <ミトメタクナイ!> そっとラクスから腕を離し、キラは美しい景色に背を向けて寄りかかる。 アスランがいかに真っ直ぐな性格か、自分たちはよく知っている。 そんな彼があんなにも信じるプラントや議長は、やはり正しいのではないか。そう思う気持ちもあるのだ。だが、だからはいそうですかと同調することも出来ない。こちらにはカガリがおり、オーブの立場は微妙なままだ。 「オーブにも問題はあるけど…じゃ、僕たちはどうすれば一番いいのか」 「分かりませんわね…」 <テヤンデイ!> 国家元首をさらってきてしまった、という罪状もあるわけで。 戦場を混乱させてしまい、また少なからず命を奪ってもきた自分たち。 何が正しくて、何が間違いで。自分たちはどうすればいいのか。数年前にもぶつかっていた大きな壁が、再び目の前に現れたようで。キラはわずかに紫苑の瞳を細めた。 「ですから私、見てまいりますわ」 「え?」 「プラントの様子を」 「えっ!?」 少し買い物に行ってまいりますわ、というような調子で少女が紡ぎ出した言葉に、キラはガラスから背を離す。一瞬何を言われたのか、理解できなかった。 しかしこちらと向かい合うラクスの瞳には迷いはなく、晴れた抜けるような空の色をしていたから。彼女が本気で言っているのだと、分かってしまった。 愕然とするキラに一歩近づき、ラクスは小さく微笑む。 「道を探すにも、手がかりは必要ですわ」 「それは駄目だ!君はプラントには…!」 「大丈夫です、キラ」 動揺して声を荒げるキラに、落ち着いてラクスは答える。 その言葉に、はっと息を呑んだ。 それはいつか、自分が彼女に紡いだ言葉。 再び剣を取らなければならないときに、悲しむ少女に注いだ言葉だ。 あのとき自分がラクスへと向けていたものと同じであろう微笑を、彼女も浮かべる。 「私も、大丈夫ですから」 「ラクス…」 「行くべきときなのです。行かせてくださいな、ね、キラ」 自分がフリーダムに乗ることを決めたように、ラクスも選んだのだ。 大切なものを守るために、大切なひとと過ごす未来を手に入れるために。 すでに道を決めてしまった彼女を、止めることなどできるはずもない。 まず決める、そしてやり通す。 それが、何かをなすための唯一の方法だと、彼女は誰よりも知っているのだから。 「はあ!?ラクスがプラントにって…正気か!?」 「そう言いたいのは僕の方なんだけどね…」 「止めなかったの?」 「………止めなかったと思う?」 鬱々とした表情で昼食をとっていたカガリを見かけ、ちょうどマリューらに用があるとかでアークエンジェルに顔を出していたミリアリアもいたため、キラはラクスの予定について報告することにした。おかげでカガリは物思いも吹っ飛んで、驚きに声を荒げている。 こういう反応を見ると、あぁ双子なんだなと思ってしまう。 「ごめんごめん。そうよねー、キラなら止められるものなら止めてるわよね」 「けっこう過保護だよな、お前」 「…そう?」 「あぁ。特にラクスにはうるさい」 「ふふ、らぶらぶでいいじゃない」 呆れたようなカガリと楽しげなミリアリア。 そんな場合ではないと分かっていつつも、キラは照れ臭くなって頭をかいた。 過保護、という単語で真っ先に浮かんだのはアスランなのだが、せっかく明るくなった空気を暗くさせたくはないと言葉に出すことはしない。きっとカガリも、同じことを思っているだろうけど。 「ラクスも頑固だからな。決めたら譲らないんだろうが…」 「心配は心配よね。それにしてもすごいなぁ、分からないなら飛び込んで調べちゃおうって発想が」 「確かにな」 「…いや、カガリもそういうタイプじゃない?」 「そうか?」 「あ、そうよね。レジスタンスに入っちゃうぐらいだし」 「あれは世界を見るための勉強だ!」 「…勉強でレジスタンスってのもどうかと思うよ」 うるさい!と拳を振り上げられ、キラは慌ててカガリから距離をとる。 相変わらず仲が良いわねぇ、とくすくす笑うミリアリアに、キラとカガリは顔を見合わせて複雑そうな表情を作った。このやり取りで仲が良いと言われるのは、どうなんだと。 「キラ、この服なんていかがですか?」 「あ、ラクス」 「可愛い〜」 「いつものラクスと雰囲気違っていいんじゃないか?あの偽ラクスに近い」 「本当はあの衣装も、と考えたのですけれど」 プラントに上がるための準備として着替えてきたラクス。 清楚な彼女の衣装とは少し違って肩が出ているデザインの、少しいまどきのものだ。 だが、これでも彼女が着ると落ち着いて見えるのだから、やはり内面から出るものの違いだろうかとミリアリアは首を傾げる。 聞くところによると、今回の作戦ではあの「プラントのラクス」になる必要があるそうで。 なら、ラクスの言う通りテレビに映っていた衣装を模倣した方がいいのだろう。 だが。 ちらり、とラクスが視線を向けた先はキラ。 彼女の視線を受けて、思い切り眉間に皺を寄せた彼はぶんぶんと首を振った。 「駄目、あの衣装は駄目、絶対」 「…だそうですので」 「まあ…ラクスがあれ着たら私もびっくりだ」 「貴重な姿だと思うけどなぁ。絶対に一枚撮ったのに」 「ミリィ…」 「あはは、冗談よ冗談」 「けど、服装はそれでいいとして。ラクス、あのラクスの真似とかできるのか?」 いくら見た目を似せても言動が違っていると違和感を持たれてしまうだろう。 本物はいま目の前にいるラクスなのだが、プラントの住民からするとあちらのラクスの方が本物なのだ。あの元気な少女の姿が。 カガリの疑問にミリアリアが頷いて視線で問うと、ラクスがふふっと微笑んだ。 「ザフトの皆さぁーん!こんにちはー!」 「わ!?」 いきなり元気な声でぴょんと跳ねて手を振ったラクスに驚く。 こんなに大きくて張りのある声を出すことなど彼女は滅多にないのだ。 驚いて目を見開く面々に、いつもの穏やかな笑顔で少女はことりと首を傾げる。 「こんな感じでいかがでしょう?」 「す、すごいな」 「ひょっとして練習した、とか?」 「はい。バルトフェルド隊長に指導していただいて」 「…あぁ、あれってそうだったんだ」 何やらげんなりした様子で溜め息を吐く弟に、大丈夫か?とカガリが恐る恐る声をかける。 いったい彼の身に何があったというのだろうか。 もしかしたら、そのラクスとバルトフェルドの稽古場に居合わせてしまったことがあるのかもしれない。 「さあ、あとはあちらの予定次第ですわね」 楽しげに瞳を輝かせるラクス。 久々に、彼女の底知れなさを感じた一行であった。 NEXT⇒◆ |