+++ 飛 翔 +++
9.素直な想い パイロットスーツに着替えたキラは、するりとフリーダムへ乗り込む。 自然と指は流れるように動き、OSを立ち上げていく。 <まあ、お前さんの事だから心配はしてねえけどよ。気をつけてな> マードックのそんな言葉にキラははい、と答えた。 こうしてこのシートに座ることも、マードックの声をマイク越しに聞くのもとても久しぶりで。アークエンジェルから発進するということも数年ぶりで、キラはアメジストの瞳を静かに細めた。 そこへブリッジからラクスの涼やかな声が通信で入ってくる。 <フリーダム発進、よろしいですわ> 以前はミリアリアに送り出されていたものだが、いま彼女はカメラマンとして世界を飛び回っている。きっといまでもあの友人は夢を追い続けているに違いない。その世界を、守りたいと思う。 ミリアリアだけでなく、大切なひとたちが自分の願いを持って進んでいける世界を未来を。それを守るためにいま出来ることはなんだろう。そう考えたときにまず浮かんだのは、オーブのためにその身を犠牲にしようとしているカガリだった。 彼女までもが世界の戦いへの波に巻き込まれてしまっては、もうどうしようもなくなる。 それだけは何としても止めなければいけない。 だからいま、無茶なことだと分かってはいるけれど。 どうしてもカガリを救い出さなければ。そう決意してレバーを強く握る。 ペダルを踏めば馴染んだ震動が身体を包む。 「キラ・ヤマト、フリーダムいきます!」 Gが身体にかかる感覚さえも懐かしく、バイザー越しに発進する景色を見送った。 そして次の瞬間視界に広がるのは蒼穹。 鮮やかな青空へ、フリーダムは舞い上がった。 結婚式にはたくさんの人々が集まり、国民も笑顔で列に加わっていた。 それらを見つめていたカガリは国のため愛する民のために、いま隣にいるユウナ・ロマ・セイランと結婚しようと強く心に決めていた。それが一番正しい方法なのだと、国を守るためにはそれしかないのだと思ったから。 けれど浮かぶのはアスランとの思い出ばかりで。 誓いの言葉を述べようとしても声が出てこない。言え、言わなければ。 そうはやる自分の迷いを吹き飛ばすかのように警報が鳴り響く。 いったい何があったのかとユウナもカガリも振り返ると、そのとき上空から見慣れた機体が舞い下りてきた。それが弟の駆るフリーダムだと気付いてカガリは唖然とする。なぜアレがここに。 アストレイが反撃するものの、キラの正確な射撃により攻撃能力を奪われる。二年たったいまでも、鮮やかな手際は失われていないようだった。それを呆然と見つめていたカガリは、自分の後ろにユウナが隠れていることも気にならない。 普段の彼女であれば、男が女の後ろに隠れてどうする!と怒るところだろう。 逃げ惑う人々が蹴飛ばしてしまったのか、式用に用意されていた白い鳩たちが一斉に飛び立っていく。 それらに包まれたフリーダムはゆっくりとこちらへ手を伸ばしてきた。すぐさまユウナが情けない悲鳴を上げて逃げ去っていく。フリーダムの両手に抱えられたカガリは、そこでやっと我に返った。 いま、こいつは何をしようとしてるんだ…!? 「何をする!キラ!」 いつものように怒鳴るカガリに、コクピッドの中でキラは小さく笑みを浮かべた。 やっぱりカガリはこうでなくちゃね、とたいそう失礼なことを考えながら。 それから新手が来る前に、とカガリを乗せたままフリーダムは再び上空へ飛ぶ。 「降ろせ馬鹿!こら!キラ!」 相変わらずカガリの声が聞こえているが、それは気にせずキラは前方からやって来たアストレイに目をやった。このまま戦闘をするわけにはいかない、とマイクを通してカガリに呼びかける。 カガリ、ちょっとごめん。と告げてからコクピッドを開いて手を伸ばした。このまま飛び続けるのは危険だと彼女も思っていたのか、抵抗はせずにその手を重ねてくれる。カガリを抱きかかえて再びコクピッドを閉じると、ふわりといつもと違った香水の匂いと、広がるドレスの裾にキラは目を丸くした。 「うわ、すごいねこのドレス」 前にもカガリがドレスアップしたのを見たことがあるけど、それ以上だなと思う。国家元首の結婚式のドレスなのだから、よく考えれば豪華なのは普通だが。しかし化粧までしているカガリに笑みが漏れそうになる。もしかしてセイラン家の好みなのだろうか。 カガリは自然なままの姿の方が良いのに。 アスランだってきっと、同じことを思うに違いない。 「お前…!」 「ちょっと黙ってて。つかまっててよ」 「うわっ」 何か文句でも言おうとしたカガリを遮り、キラはレバーを引く。 急にかかる重力にカガリが思わず首に抱きついてきた。 <こちらオーブ軍本部だ。フリーダムただちに着陸せよ!> オーブ軍の警告が聞こえてくるが、彼らの言う通りにするわけにはいかない。 だからキラはわずかに眉をひそめて呟いた。 「…ごめんね」 出来るだけ不要な犠牲は出さないようにと、攻撃能力のみ奪う。 どうあっても相手を傷つけていることに変わりはないのだけれど。でも、自分も信念を曲げるわけにはいかない。だからキラはそのままフリーダムを駆って目的地へと急いだ。 すると海上にオーブ艦隊と、それらに囲まれた白亜の艦が見えてくる。 「アークエンジェル!?」 カガリの驚いた声を聞きながら、キラはアークエンジェルへと着艦するためにペダルを踏み込んだ。 とりあえずカガリを救出することは出来たけれど。だからといって状況がいきなり好転するわけではない。むしろ、自分たちの立場はかなり微妙なものになってしまうに違いない。何しろ一国の主を連れ去ったのだから。 フリーダムが格納庫に入ったのを確認して、ドレス姿のカガリを抱えて外へと出る。 そこにはお疲れさん、といつもの笑顔で迎えてくれるマードックがいて。 カガリはいまだに状況が飲み込めない、といった様子で視線を彷徨わせている。 「カガリ、とりあえず着替えてきなよ」 「だ、だが!」 「もうアークエンジェルは潜航しちゃってるし。話はブリッジで皆で聞くから」 「………分かった。首を洗って待ってろ!!」 怒ったようにそう言ってカガリはどすどすと格納庫から去っていく。ドレスであの歩き方はいかがなものか、と思ったがそれが彼女らしさと言ってしまえばそこまでだ。くすくすと笑みを漏らすキラに、大丈夫かあ?とマードックが頭をかきながら尋ねてくる。 「ありゃあ、相当怒られる気がするぞ」 「でしょうね。カガリも頑固ですから」 「うへー」 「じゃあ、僕も着替えてきます」 マードックに笑みを向けてからキラも歩き出す。お互い頑固なところはそっくりで、さすが双子だなとアスランが溜め息を零していたことを思い出した。そんなことない、と二人で反論したものだが、そのタイミングさえ一緒だったのだから言い訳しても無駄で。 一度こうと決めたことは自分もカガリもなかなか覆さない。 それに今回は結婚、というとても大切な決定が関係している。 生半可な気持ちでカガリがそれを決めたのではないことぐらい、キラもラクスもとうに分かっていた。けれど、だからこそそのままにしておくわけにもいかなかったのだ。アスランとカガリが互いに互いを大切に想っていることを知っていたから。 一度決めてしまえば、また再びその場所へ戻ることは難しくなる。 だから取り返しがつかなくなる前に、なんとかしたかった。 「キラ」 「ラクス」 「おかえりなさいませ」 「うん、ただいま」 「カガリさんは…?」 「いま着替えてる。すごいドレスだったから、ちょっと時間かかるかも」 「まあ」 「あと…かなり怒ってる」 「あらあら。ですがキラも、譲るつもりはないのでしょう?」 「うん、まあね」 こればっかりはね、と告げればラクスはふわりと笑う。 次が正念場だ、と気合を入れるキラに、そうですわねと静かに頷いた。 そしてブリッジへとオーブ軍服に着替えてやって来たカガリは、怒りのままに口を開いた。 「いったいどういう事なんだ!こんな馬鹿な真似をして!」 彼女がそう怒るだろうことは分かっていたから、誰も何も言わず黙っている。 責任感が強く、また民を想う心が深いからこそ彼女はあの決断を選んだ。それを妨害されたような形になり、激昂するのも当然で。静かな表情で自分の言葉を聞いているキラに痺れを切らしたのか、カガリは黄金色の瞳をマリューとバルトフェルドに向けた。 「あなたがたまでなぜ!?結婚式場から国家元首をさらうなど国際手配の犯罪者だぞ!正気の沙汰か!こんな事をしてくれと誰が頼んだ!?」 「カガリさん…」 「いや、まあね…それはわかっちゃいるんだけど」 マリューが困ったように首を傾げ、バルトフェルドも肩をすくめる。 しかしそこで口を挟んだのはキラだった。変わらず静かな声で、淡々と言葉を紡ぐ。 「でも…仕方ないじゃない。こんな状況のときにカガリにまで馬鹿なことをされたらもう、世界中が本当にどうしようもなくなっちゃうから」 「馬鹿な事…?」 「キラ…」 自分の決定を頭から否定されたような言葉に、カガリの表情がより怒りへと染まる。そのことに気付いたラクスが制するようにキラの腕に触れた。心配そうな青い瞳にキラはできるだけ優しい笑顔で応える。 「大丈夫だよ、ラクス」 そんな自分の態度が気に障ったのだろう、カガリの眉間に皺が寄った。 それから強く拳を握り、まるで吐き出すかのように言葉を叩きつけてくる。 「何が…何が馬鹿な事だと言うんだ!私はオーブの代表だぞ!私だっていろいろ悩んで考えて、それで…!」 「それで決めた、大西洋連邦との同盟やセイランさんとの結婚が、本当にオーブのためになると、カガリは本気で思ってるの?」 普段のキラからは考えられないほどの厳しい言葉だった。 責めているわけではないが、現実を真っ直ぐにぶつけてくる弟の言葉に、カガリは息を呑む。目の前にある紫水晶の瞳に曇りは一切なく、自分の知らない間にキラの心境に何らかの変化があったのは確かだった。その色に飲み込まれないようにと、カガリは縋るように声を発する。 「あ、当たり前だ!でなきゃ誰が結婚なんかするか!もうしょうがないんだ…!ユウナやウナトや首長たちの言う通り、オーブは再び国を焼くわけにはいかない…!」 自分が守るべきは国であり、この道が最善だと信じた。 それしかないと思ったから決めたのだ。アスランへの想いを断ってまで。 「そのためには、いまはこれしかないじゃないか!」 「…でも、そうして焼かれなければ他の国はいいの?」 「…っ!」 自分の心の奥底に沈んだ想いを呼び起こすかのような、キラの静かな声。 「もしもいつか、オーブがプラントや他の国を焼くことになっても、それはいいの?」 「いや…それは…でも…!」 「ウズミさんの言った事は?」 「つっ!…でもっ!」 父の理念を誰よりも守りたかった。美しい祖国をそのままにしたかったのに。 自分には何の力もなく、国を守るにはこれしかないのだと全てを諦め、オーブの理念までも諦めてしまった。そんな自分を父はどう思うだろうか。そして結婚という道を選んでしまった自分を、アスランは……。 何度考えたか分からない問いが再び頭をよぎり、カガリは俯いてしまう。彼女の拳が震えていることに気付いて、キラもそっと視線を落とした。 「カガリが大変な事はわかってる。今まで何も助けてあげられなくて…ゴメン」 目の前にいるただのひとりの少女。彼女が全てを背負うには、まだあまりにも若い。 誰かの手助けが必要なそのときに自分は支えてあげることができず、ただ己の痛みにばかり目を向けていた。いままで庇護してくれたウズミはすでにいなくなり、カガリの周りには彼女の真っ直ぐな思いとは別の、様々な思惑が満ちていたに違いない。 でも、やっと自分を取り戻すことができた。 だから涙の滲む目を向けてきたカガリに、キラは顔を上げて微笑む。 「…でも、今ならまだ間に合うと思ったから。僕たちにもまだいろいろな事が分からない。でも、だからまだ今なら間に合うと思ったから」 ズボンのポケットを探り、その中から取り出した物を手にカガリへと近づく。 姉の右手をとってそれを手の平にのせてあげると、彼女は自分の手の中にある指輪に気付いて驚きに目を瞠った。 そこにあったのは紅の輝きを放つ指輪。 アスランがくれた、自分たちの想いの証。 セイラン家に嫁ぐと決めて、手放そうと決意したもの。それが再び自分の手に戻ってきたことに、カガリは信じられないといった様子で。けれどキラの穏やかな声が、これが現実のものであると教えてくれる。 「みんな同じだよ。選ぶ道を間違えたら、行きたいところへは行けないよ」 そう、あのままユウナの妻となっていたら自分は…二度とアスランと会うことも、もしかしたらキラたちと会うことも出来なかったかもしれない。そしてオーブの代表としてセイラン家に操られ、人形のような生活を送ることになっただろう。それが国のためなのだと、そう決意したけれど。 それでも、再び指輪がこの手に戻ってきたことが、どうしようもなく嬉しくて。 そっと指輪を両手で包み込むカガリに、キラは優しく告げた。 「だから、カガリも一緒に行こう」 「キラ…」 まだ、間に合うのだろうか? 国のために、大好きなあのひとのために、自分は何かが出来るのだろうか。 もし間に合うのであれば、諦めたくない。 一度は捨てようとした想いだけれど。その温かさに気付いてしまったから。 指輪を握り締めたカガリは、溢れる涙を止めることが出来なかった。嗚咽をこらえながら、何度も何度も頷く。言葉を発することは出来ず、そのまましゃがみ込んでしまった。そんな自分に温かい腕が回る。キラの腕だ、と分かった途端、その温もりにもう泣くことを止められなくなってしまった。 いままでの苦しみや辛さを吐き出すように泣くカガリを抱き締め、あやすように金色の髪をゆっくりと撫で、キラはそっと言葉を漏らす。 「僕たちは…今度こそ、正しい答えを見つけなきゃならないんだ、きっと…逃げないでね」 それはカガリに向けてというよりは、自分に対する言葉のようだった。 やっと自分の想いを解放することができたカガリに、マリューとバルトフェルドは互いの顔を見合わせて、それからほっとしたように笑みを浮かべる。他のアークエンジェルクルーも柔かい表情でキラたちを見つめていた。 同じように穏やかに二人を見守るラクスの瞳に。 わずかな翳りが浮かんでいることに気付かないまま。 NEXT⇒◆ |