+++ 萌 芽 +++
13.憎悪の声 夜ごと繰り返される悪夢。 忍び寄る黒い影は、もうひとりの自分。 世界の闇。 守りたいと思ったものが、たくさん目の前で消えていった。 何のための力か、そう泣き叫んだところで失ったものは戻らない。失うことに怯え、悲しみ、怒る。 そんな自分は、どこも他人と変わらない。 涙をぬぐってくれる指や、優しく包み込んでくれる存在にすがらなければ、立っていることさえ覚束ない。そう、ただひとりの人間でしかないのだ。 ―――――― それが誰に分かる、分からぬさ、誰にも 暗い闇の彼方から、低い声が毒を注ぐように這い上がってくる。幾度聞いたか分からない声に、虚空を漂いながらキラは哀しげな瞳を向けた。 深く、黒いそこ。どんな光さえも呑み込んでしまいそうな濃い闇。 そこへむかってただ問い掛ける。 どうしてそう思うの?と。 ―――――― 憎しみの目と心と、引き金を引く指しか持たぬ者たちの世界で 何を信じる?なぜ信じる? いつも尋ねかける言葉は同じ。この世界を憎み、自分の存在さえも疎んだ男。この時代が生み落とした影。きっと自分も何かが違えば、同じような道を歩んでいたのかもしれない。けれど自分は知っているのだ、あの男が知らず知ろうともしなかったもの。 虚ろな毎日を送る自分を、いつも心配そうに見守っていてくれるひとたち。 全てを知った上で、それでも自分を大切な息子だと言ってくれる両親。 様々な出来事を通して分かりあえた仲間たち。 何より、ここにいる自分が全てなのだと、涙を受けとめてくれた彼女。 こんなに自分の傍にはいてくれる。完全に理解してもらうことはできないのかもしれない。けれど理解しようとしてくれるひとたちがいる。変わらずそこで笑っていてくれるひとたちが。 ―――――― まだ苦しみたいか いまはもう何の感情もなく、ただ問い掛けるだけの声。 無機質な響きがどこか悲しさを感じさせて。キラは静かに目を閉じる。 自分はそちらへは行かない。 そう心の中で答えた。 繋ぎとめてくれる、この手があるかぎり。 自分は闇に墜ちるわけには、いかない。 「……ラクス?」 「起こしてしまいましたか?」 「ううん。ラクスのおかげで、帰ってこられた」 そう言ってにこりと笑うと、きょとんと目を瞬いてからふわりとラクスが笑った。 「そうでしたか。おかえりなさいませ、キラ」 「うん、ただいま」 そう、この白い小さな手だ。 この手がいつも自分をこの世界に繋ぎとめてくれる。 ふいに愛しさが溢れてきて、その手の甲へ唇を寄せる。 枕元に座っている彼女は、自分の行動に驚いたようだった。しかしそれを怒るでもなく、わずかに火照った顔をほころばせる。 そんな彼女の姿を白い光が包んでいて、新しい一日が始まっているのだと気付いた。 「もう朝ご飯?」 「はい、どうなさいますか」 「いくよ、着替えてから」 「分かりました、用意してますわね」 桃色の髪がふわふわと揺れる。もう一度笑顔を残して、ラクスは部屋を出て行った。ぱたぱたと可愛らしい足音が遠ざかる。その心地良い音を聞いてから、起きるかと呟く。 ゆっくりと体を起こして、はたと我に返って考えた。 いま自分はものすごい事をしなかっただろうか。 寝惚けていたのか、普段だったら絶対にしないようなことをしてしまった。 (ど、どうしよう……でもラクス怒ってなかったよね?) どこぞの王子様みたいな事をしてしまった。手にキス。 考えたところでどうしようもないのだが、今更かああと赤くなる頬に、キラは口元を押さえる。 でもこんな自分は嫌いじゃない。 カーテンを開けて、明るい空を見ながら苦笑を零す。 少しだけ恥ずかしくて、リビングに顔を出しづらいけれど。悪くない目覚めだと思った。 あの夢を見た後だというのに、いつもと違って幾分心が軽い。 それはきっと、彼女のおかげで。 彼がこの世界を憎み、壊そうとしていたのなら。 もうひとりの自分のために、僕は世界を愛し守り続けよう。同じ想いを抱いた人々と共に。 そのために何ができるのかは分からない。 まだ立ち上がる力はないけれど、傷は癒えていないけれど。 それでも自分はそちらへは行かない。 まだ、行くわけにはいかない。 そう闇から響く憎悪の声に、キラはそっと答えた。 NEXT⇒◆ |