+++ 萌 芽 +++


番外編. cooking



日の光が部屋の中に注ぐ。それでも惰眠を貪っていたキラは、どこからともなく漂ってくる甘い香りに意識を浮上させた。ただ寝ているだけでもお腹は減る。

刺激された胃が、ぐううと盛大な合奏を始めたためキラはのっそりと身体を起こした。
そういえば誰も起こしにこないというのは珍しい。

自分で起きるという事をほぼ放棄しているキラは、ぼんやりとした思考回路の中そう思った。


「キラ、起きて………たか」
「おはよアスラン…」

まだベッドに身体を起こしただけの自分に、ノックと共にドアを開けたアスランは苦笑している。ぼさぼさの頭のままの自分とは違い、しっかりと服も着替えて髪も整っているところに、さすがアスランだなぁと見当違いのことを思った。

「もう朝ご飯?」
「もう昼だ」
「あれ?」

もうそんな時間?と時計を見ると、確かに正午を回っている。

よくもまあ、こんな時間まで眠れていたものだ。自分の駄目さに、呆れを通り越して感心してしまう。

「じゃあお昼に呼びに来てくれたんだ」
「あぁ。まぁ」
「?」

なんだか歯切れが悪いな。
そう訝しんでいるのが伝わったのか、相変わらず困ったように笑いながら親友が言った。

「来れば分かる」












居間の方へ顔を出すと、熱気のようにとても甘い匂いが部屋の中から溢れ出した。それに一瞬たじろいだが、キラは思い切って部屋へ足を踏み入れる。

「これ、は」
「まぁキラ、おはようございます」

自分に気付いたラクスが、香りの原因を机に置いて笑顔を向けてくれた。
その笑顔と原因である物体は、とても彼女に似合っている。がしかし。

「なんだってこんな………」
「俺の気持ちが分かっただろう」
「あ、はは」

簡単に言えば、みんなが食事をするときに使われるテーブルいっぱいに、ケーキやらクッキーやらが並べられているのだ。これが甘い香りの原因らしい。

「お、やっと起きたなキラ」
「カガリ……」
「もう駄目よキラ、寝坊じゃない。また私が起こしにいかないといけないのかしらねぇ」

カガリも母も台所からお菓子を持って現れた。
寝坊をしたことは確かに悪いのだが、それを謝ることも出来ずキラは呆然としている。

キラの様子にやっと気付いたラクスが首を傾げる。

「どうかなさいました?」
「えっと…。どうしてこんなにお菓子を?」

子供たちがいくら多いとはいえ、これ全てを消費するのは無理だろうに。
するとラクスが楽しそうに笑った。

「カガリさんとお話をしていましたら、お菓子を一緒に作りましょうという話になりまして。楽しくてつい、こんなに作ってしまいましたの」
「つい………………」

そんなはずみで、こんなに沢山作れるものなのだろうか。
それともこれが女の子のパワーなのか?

「私も楽しかったわ。やっぱり、女の子もほしかったもの」
「母さん……」
「あら心配しなくても、キラは可愛い私の子よ」

言いたいのはそこじゃない。

「可愛いって言われても嬉しくないよ」
「そう?だから男の子はつまらないのよねぇ」
「私たちも、とても楽しませていただきました。ね?カガリさん」
「あぁ、こういうのも良いな」

女三人で結束しはじめたため、キラとアスランはなんだか肩身が狭い。
しかしいつの間に、こんなに仲良くなったのだろうか。自分たちでは到底勝てないような勢力ができつつあることに、キラとアスランは乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。








「それにしても。ラクスって料理上手いんだな」
「お料理は好きですから」
「お裁縫も上手なんでしょう?キラから聞いたわ」
「それも、好きだからですわ」

ふわりと笑う少女に、カリダとカガリも微笑む。

この少女たちが自分の息子を支えてきてくれたのだ。

そう思うとカリダは彼女たちに対して愛しさが募るのを感じていた。実際カガリはキラの双子の姉弟であるのだから、自分の娘といっても過言ではない。
キラたちの実母であるヴィノ・ヒビキはカリダの姉だった。
血の繋がりでいえば、キラもカガリも甥と姪にあたるわけなのだが、今では誰よりも大切な我が子である。だから息子が自分の出生の秘密を知ってしまったことに、少なからず動揺していた。

決して話すまいとしていた事。
キラはどれほど傷つき、苦しんでいることだろう。

そんな息子に自分ができることは、ただ傍で見守るだけなのかもしれない。

私はいつでもここにいる。だから疲れたときには、ここへ戻っていらっしゃい。あなたを愛していることは、何にも変えられない事実なのだから。

そして同じ苦しみを分かち合う存在が、あなたの周りにはいるのだと。

「二人とも、本当にありがとう」
「え?」
「キラのこと、支えてくれて。私が言うのもおかしなことだけれど、感謝しているわ」

壊れそうに不安定なキラが、なんとか踏みとどまっているのは彼女らやアスランのおかげなのだろう。
しかしラクスとカガリは互いに顔を見合わせた後、笑って首を振った。

「私たちは、本当にわずかなことしかできていません」
「ほんとに自分の無力さに、悔しい気持ちになることも多い」
「え?」
「キラ、今日寝坊しましたでしょう?」

ラクスがわずかに目を細めてそう告げる。
しかしカリダは何を伝えようとしているのか分からず、えぇと頷く。キラが寝坊をするなんていうのは昔からだ。

「いままでそんな事はなかったんだ」
「誰よりも早くキラは目覚めて、いつも外を眺めていました。ベッドに寝たままだったり、外へ出ていたりと様々でしたけれど」
「そう……」

そんな息子の姿を想像して、カリダは痛々しさに眉をひそめる。
確かに再会したキラは以前とは違い、どこか悲愴な気配を漂わせてはいた。

「たぶん、寝てないときもあったと思う……」
「いつもうなされていましたから」
「キラは苦しんでいるのね」

いまもなお。

「でも、今日は寝坊してきた」
「えぇ。熟睡、できたのでしょうね」

だから朝からラクスとカガリは嬉しそうに笑っていたのか。
夜が来ることを恐れ、夢見ることに怯え。眠りさえ彼から離れていたのを見てきたから。

「きっとお母様がいらしてくださったからですわ」
「安心したのかもな」
「そうだと、嬉しいわ」

自分も息子のために何かできるのであれば。けれど。

「それは、貴方たちがいてくれるおかげでもあると思うの」
「え?」
「いつも貴方たちが支えてくれて、隣で笑っていてくれる。それがあの子にはきっと力になるわ」

何もかも喪ってしまったかのように、ただ虚空を見つめている瞳。
それが彼女たちと語らっているときは、多少なりとも息を吹き返す。ほんの少しの変化だけれど、その瞳に光が揺らぐ。

まだ彼の心は生きている。

「だから、これからもよろしくね」
「はい」
「こちらこそ、よろしくお願いします」


「ふふ、それに私のこと第二の母と思ってくれても良いのよ」


自分の言葉に、ラクスとカガリはしばし動きを止める。しかしカリダは変わらずにこにこと微笑む。

「カガリさんはキラのお姉さんなんでしょう?それにラクスさんは、いずれキラのお嫁さんになるかもしれないんだし」
「まぁ、それは…」

わずかに頬を紅潮させるラクスに、カリダは満足気に頷く。ピンクの髪が柔らかく揺れて、彼女の白い肌に落ちる。こんなに美しく可愛らしい少女をつかまえるとは、我が息子ながら良くやったものだ。

料理も裁縫も洗濯なども好き。そしていつもキラのことを気にかけていてくれる。
なんて果報者なのだろう、自分の息子は。

「ラクスさんなら、素敵なお嫁さんになるわねきっと」
「うん、確かに私もそう思う」
「あら、カガリさんだって。良いお母さんになると思うわよ」
「お、お母さん!?」

いきなり飛ぶ話に、今度はカガリが顔を赤くして慌てる。
本当に、可愛らしい少女たちだ。

「そ、そんな私はあんまり料理とか細かいことは苦手で……」
「でも大人数用の料理は上手じゃない?大家族になっても安心ね」
「いきなりそんなに家族はできない!」

湯気が出そうな勢いで反論している姿に、カリダはおほほと笑っているだけだ。さすがキラとアスランを見守ってきた母なだけはある。なんというか、普通じゃないかもしれない。

「それに心配なら今から練習すればいいのよ。ねえラクスさん」
「そうですわね。誰だっていきなり上手くはできませんもの」
「う……それは、そうだが」
「それじゃあ早速、花嫁修業開始ね!」

嬉々として提案するカリダに反対できるはずもなく。

「今日の夕飯も三人で作りましょ」

誰よりもこの生活を楽しんでいるのは、彼女なのかもしれない。

けれど、あまりにも長いこと遠ざかっていた日常の温かさに、カガリもラクスもそっと笑むのだった。














「どうする、アスラン」
「どうって………」
「このお菓子もだけど、夕飯もあの三人が作るみたいだよ」
「………………………」

自分がいま手にしているクッキーを眺めながら、アスランは硬直している。その姿に仕方ないなぁとキラは溜め息を吐いた。フォークに刺したままだったケーキを頬張り、飲み込む。美味しい。

結局、あまりに大量にできあがってしまったためキラとアスランは消費係りとして、昼食はお菓子で済ませることになってしまったのである。

確かに美味しいのだが、胃もたれしそうだ……とアスランは沈んでいた。
その上、またあの三人で夕食を作るとなると。

「覚悟は、しておいた方が良さそうだな…」
「そうだね…」

胃薬ってあったっけ?と問い掛けるキラに、後で探しておこうと真剣に呟くアスランがいたそうな。





そしてその日の晩どうなったのかは、語られていない。




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