+++ 悩み +++ 「なあなあイザーク」 「なんだ」 「ちょっと聞きたいことあんだけど」 「……だからなんだと言っている」 段々と不機嫌な色を帯びてくるイザークの声に気付かないふりで、ディアッカはなおも躊躇いながらやっと口を開く。 「シホって子いるじゃん」 「あぁ」 「俺なんか嫌われてない?」 「………………何?」 自分やアスランがクルーゼ隊から抜けてしまい、その後補充されたメンバーであるシホ・ハーネンフース。赤服らしくパイロットとしての腕も良く、イザークも信頼しているらしい。 なのに。 「いや、なんかさ……こう空気が」 「ふん、くだらん」 いや、こっちにとっては切実なんですが。 「お前が避けられるようなことをしたんだろうが」 「え、何それ。俺のせいなの決定なわけ?」 理不尽すぎる、という思いをこめて言っても上司となったイザークは、鼻でせせら笑うだけだ。 その当然だ、と言わんばかりな態度が余計にやるせなさを誘う。 「なんかしたかなぁ」 「お前のその軽薄そうな態度じゃないのか」 「俺ってそんなふうに見える?」 「あぁ」 一刀両断だ。 軽薄、ではなくて軽薄そう、と言ってくれるところに優しさを感じるべきなのだろうか。そんな事を遠い目で考えていると、イザークは書類を開いて作業を再開しはじめた。 ジュール隊という自分の隊を持つようになった旧友は、以前にも増して忙しそうにしている。 このまま疲れが溜まらないといいのだが。 (とばっちり受けるのは、俺だもんなぁ) それだけは、どれだけの年月がたっても変わらないようだった。 「ジュール隊長」 「ん?………あぁ、シホか」 書類の整理も一段落し、野暮用を片付けようと歩いていたイザークは横からかけられた声に足を止めて振り返った。そこにいたのは自分の後輩であり、いまは最も信頼できる部下のひとりであるシホ・ハーネンフースだった。 長い漆黒の髪を後ろで緩く束ね、きりりとした目が意思の強さを感じさせる。端正な顔立ちをしているのに、あまり女性として意識せずに接することができるのは、彼女の軍人らしさからくるものなのだろう。 「どうした」 「いえ、とりたてて重要な用件ではないのですが。お出かけですか?」 「やっと落ち着いたのでな。少し出てくる」 「お疲れ様です。お供しましょうか」 シホの気遣いにイザークは無意識に小さく笑む。 何事にも真面目で、こうして色々と気が付いてくれる少女はとても好感が持てる。 「いや、せっかくの休息だ。お前もしっかり休んで英気を養っておけ」 「………そう、ですね」 「いつ何時非常事態となるか分からん。頼んだぞ」 「はっ!」 びしっと敬礼をして返事をするシホに頷き、イザークはまた歩き始める。 その背中を見送る少女が、ひっそりと溜め息を吐いていたことを彼は知らない。 今日もやっと仕事が終わった。 やれやれ、と首を捻りながらディアッカは部屋に入って軍服を脱ぐ。復隊して赤服から緑へと降格されてしまったが、銃殺刑にならなかっただけマシだと思う。 それに、けっこう落ち着くしな。 「あー、今日もよく働いた、と」 シャワーでも浴びて、今日はさっさと寝よう。 バスルームに足を踏み入れ、疲れと汗を流していく。 こうして当たり前のように過ごしている日常が、とても貴重なものなのだと最近よく思う。 同じ隊のメンバーに避けられている気がする、なんて悩み……戦時中であれば悩みにもならなかっただろうに。とても小さな、くだらないとさえ言える事で悩む自分は嫌いじゃない。 悩みといえば、もうひとつあったな………。 ふと思い出し、ディアッカは溜め息を零す。この問題は悩んでもどうしようもないのだが。 「やめやめ、今日は寝る」 不毛な事を悩むよりも、さっさと寝て気分を切り替えよう。適当に身体を拭いて自室に戻ると、なぜか自分のベッドに当然のように座っているイザークがいた。 「………えーと」 「俺を待たせるとは良い度胸だな」 「いや、そもそもお前が来るなんて聞いてないし…」 さすがは俺様。マイルール炸裂だ。 「て、お前外に出たんじゃなかったわけ?」 「あぁ、これを取りにな」 これ、と言ってイザークが何か箱を差し出してくる。自分に寄越すということは、受け取っていいものなのだろう。遠慮なく受け取って包装を解いていく。なんだかプレゼントみたいな包みだな。 シンプルな箱の蓋を開けてみると、そこにあったのは懐かしいものだった。 「これ……扇じゃん」 「なかなか良い色合いだろう」 「確かに」 深い紫苑の色がだんだんと淡くなっていく柄。繊細なグラデーションに、ディアッカは思わず感嘆の声を上げた。 「マジですごいわ、これ」 「当然だ。俺が選んだものだしな」 「………そういや、これどうしたわけ?」 「研究の資料を見に行った先で売られていた。なかなか趣味の良いものが揃っていたからな、そのついでだ」 「うわー…なんか久々に感動したかも」 ぱちん、と開いてみると扇特有の香りが鼻をかすめる。 本当に懐かしい。この重みも、感触も。 「もらっていいのかよ」 「あぁ、俺は別のを購入したからな。まぁ、今日は特別だ」 「?」 なんで特別なんだ?と首を傾げると、驚いたようにイザークが目を見開く。その反応の意味するところさえ分からず、ディアッカはますます困惑した。 「お前、本物の馬鹿者だな」 「はあ?」 どうしてそこまで言われないといけないんだ、と言おうとしたときイザークが思わぬことを言った。 「今日はお前の誕生日だろうが」 ………………………………………。 「あ」 「忘れていたんだろう?」 「綺麗さっぱり」 今までそれどころじゃなかった。 終戦のために自分も軍もバタバタしていたし、やっと落ち着いてからは軍法会議だ。 自分もイザークも銃殺刑になるかもしれない瀬戸際で、それでもなんとか免れてまた軍に戻る事が出来ている。いまでは名目上、イザークが自分の監視という事でジュール隊に配属になっているが、気心の知れた人間と同じ場所で働けるのは、とてもありがたいことだと思った。 そんなこんなで、自分が生まれた日のことなどすっかり頭から消えていたのである。 「てことは、これ誕生日プレゼント?」 「何を抜かしている。ついでだと言っただろう、あえていうなら餞別だ」 「………………何の?」 「くだらん事で悩んでいたようだからな」 それはシホのことだろうか。 「お前はどんな理由があったにしろ、一度は軍を裏切っているんだ。風当たりが強いのは当然だろう」 「だな」 「くれぐれも悩んでいるせいで仕事の能率が下がる、というような事はするなよ」 「へいへい」 言いたいことだけ言って、イザークは颯爽と部屋から出て行った。 台風のようなヤツだ、と思いながらもその心遣いにディアッカは苦笑する。 なんだかんだと友達思いのヤツだから。 「にしても、本当に久しぶりだなぁ」 扇を開いて少し手首を遊ばせてみる。流れるように動く体に、まだ感覚は残っているようだとディアッカは安堵した。 もう長いこと舞から遠ざかっている。あの独特の緊張感、聞こえてくる幽玄の音。懐かしい、と思いながら少しだけ痛みが胸を襲う。 また自分が舞などの時間に没頭できるようになるのは、いったいいつの事なのだろうか。 それが可能になる頃には、すっかり忘れているかもしれないな。 「………ん?」 感傷的になっていると、自分の机の上のパソコンがメールの着信を知らせてきた。また何か任務の変更だろうか、面倒だなと思いながらファイルを開く。 「あれ?」 軍のアドレスではない。ではいったい誰だ? 自分にメールを送ってくるような人間がいただろうか? 「………………これ、って」 開いたメールに添付されていたもの。それにディアッカは言葉を失った。 青い空と、光り輝く水平線。 夕焼けに染まる空。 天空をのびやかに翔ける鳥たち。 たくさんの写真が添付されていて、そのどれも地球や自然の温かさを訴えているようで。 自分が悩んだり苦しんだりしているのが、なんだか馬鹿らしく思えてくるような感じがした。 「やっぱ、あいつ……かな」 こんなに素晴らしいものを送ってきてくれるのは。 いつも自分の前では仏頂面で、けれど最後には笑顔をくれる少女。 自分が軍に戻ると言ったときは、そう…と呟いてしばらくしてからあんたって馬鹿ね、と言い放ってくれた。たぶんあれは自分が軍に戻ればどんな事が待っているのか、彼女も分かっていたからなのだろう。 だが、なんとか生きている。 こうして彼女が与えてくれる光に、また微笑むことができている。なんて幸せな日々だろう。 どうして俺の周りって、素直じゃない人間ばっかりなんかなぁ おめでとう、って普通にプレゼントをくれりゃいいのにさ 出来るなら直接会って祝ってほしかったが、こうしてメールをくれるだけでも奇跡のようなことなのだろう。互いに進む道がいまは違っていて、 会うことも難しい相手。 けれどさり気なく、まだ繋がっていることを感じさせてくれる彼女にディアッカは穏やかな気持になる事ができた。 これなら色々と疲れていたものも楽になりそうだ。 また明日から頑張れるだろう。 紫色の扇と、たくさんの景色にディアッカは温かい気持ちで眠りについた。 今度は自分が何かをしないとな、そんな新しく嬉しい悩みを抱きながら。 fin... |