喪った願い
………………なんだこれ? 射撃訓練を終えて、自室に戻ろうとしていたシンは、足元に落ちていた物を拾って首を捻った。 どうやら譜面らしい。 (ミネルバでこんなの持ってるヤツって、やっぱレイかな?) どうせ同じ部屋だから、と思って持って行く。 パラパラとめくってみても、もともと音楽に興味のないシンに理解できるはずもなく。ただ丁寧な字でタイトルが書かれている。 「えーと?涙の………」 「シンじゃない、何してんの?」 明るい声に振り返ると、買い物帰りなのか袋をぶら下げたルナマリアとメイリンが立っていた。 「それ、楽譜?」 「え?あ、うん」 不思議そうに自分と譜面を交互に見るルナの様子に、シンは憮然とする。 そんなに俺と音楽は結びつかないかよ。 自分でもそう思うが、やはり他人にあからさまな反応をされると、少し悲しい気持ちになる。 「拾ったんだよ」 投げやりに答えれば、なるほどとルナもメイリンも納得した。 そこで納得されるのもどうなんだ。 「楽譜なんて、普通持ってこないわよねえ。誰のかしら」 「レイぐらいだろ、そんなの」 「え、レイってこういうの好きなの?」 メイリンが驚いたのか、素っ頓狂な声を上げる。 「ピアノが好きだって……なあ?」 「うん、聞いたことあるわね。どれぐらいの腕前なのか知らないけど」 「何がだ?」 「何がってレイの………!?」 背後から突然静かな声が聞こえて、シンはもちろんルナたちも驚いて振り返った。 「レ、レイ」 「どうした」 「い、いや…なんでも」 シンが口ごもっていると、好奇心が抑えられないのかルナが口を開く。 「ねえ、レイってピアノ弾くのよね」 「あぁ」 「じゃあこの楽譜、レイの?」 シンから奪い取ったルナは、レイに楽譜を差し出す。 無言で受け取り、暫く眺めた後レイはそれを返してきた。 「俺のではない」 「え?」 「レイじゃないのっ!?」 一番有力な可能性が消えてしまい、シンたちは戸惑う。 反してレイは、いつもと変わらない様子でさらりと髪を揺らして、去っていってしまった。 「んー……どうしよっか」 「他に可能性ってある?」 「艦長とか」 メイリンの言葉に、シンとルナはあぁなるほどと頷く。 「じゃあ艦長の部屋に………」 「何やってんだよアスラン?」 廊下のむこう側から聞こえてきた声に、ルナマリアとメイリンが反応する。その様子に釈然としないものを感じながら、この声はハイネだとシンは予想した。 廊下を曲がれば、予想通りハイネとアスランがいた。 そこへルナマリアとメイリンが突進していく。 「おはようございます!」 「おう、おはよう。今日も元気そうだな」 「あぁ……おはよう」 なんだろう、この反応の違いは。 「アスランさん?どうかしたんですか」 いち早くメイリンが気遣う。 「あぁ、うん」 「こいつさっきから、ずっとこの辺りウロウロしてんの」 呆れたようにハイネが肩をすくめる。 それすら目に入らないようで、アスランはずっと足元に目を向けている。 「何か探し物ですか?」 相変わらず少し不機嫌な声で尋ねると、やっとアスランが顔を上げる。 切れ長のすっと通った緑の瞳が、かすかに暗い色を宿していた。 「ちょっと……大事なものを落として」 「落し物、ですか?」 「あぁ。たぶんこの辺りだと思うんだけ………」 アスランの言葉が途切れたことに訝しく思っていると、なんともいえない顔をして、アスランがこちらの手元を見ていた。 (俺なんか持ってたっけ?) 不思議に思って自分の手元を見る。 持ってた。 あの楽譜だ。 「えっ!これアスランのっ!?」 全く結びつかなかった。 びっくりして叫ぶと、その反応に対して怒った様子もなく、アスランはほっとしたような顔をしていた。 「シンが拾ってくれてたのか、ありがとう」 そう素直にお礼を言われると、どう反応していいのか分からない。 「いえ」 ついつい素っ気無くなってしまった。 しかしアスランは気にしていないようで、大切そうに譜面を受け取る。 「なんだアスラン。おまえ楽器やるのか?」 「いえ…そういう方面はあんまり」 なんだアスランもか、と内心シンはほっとしていた。なんでもかんでも器用にこなしそうな上官にシンは少し親しみを覚える。 「じゃあなんだよこれ?」 「………昔」 その瞳が切なげに揺れるのを、シンは見逃さなかった。 とても悲しそうで、少し辛そうな顔。 「友人が、大切にしていた…ものです」 もう一度感謝して、アスランは自室へ戻っていった。 ハイネも機体調整がまだだった、と慌てて格納庫へ去って行く。ルナたちも買い物袋を下げたままだという事に気付き、その場を後にした。 ひとり残ったシンは、アスランが去って行った方向を眺めていた。 あの日の言葉を思い出したから。 自分の非力さに泣いたことのある者は 誰でもそう思うさ たぶん 夕映えの中で、静かに呟いたアスラン。 あのとき初めて、彼も何かを失ったことがあるのだろうかと思い当たった。 それまでは考えもしなかったから。 失う痛みを彼が知っているなんて。 あの譜面も、あのときの言葉に関係しているのだろうか。 何かを喪った名残なのだろうか。 綺麗な優しい文字で綴られた旋律。 大切そうにそっと受け取った、あの表情。 そこに書かれていたタイトルが、頭に焼きついて離れない。 何かを願うようにつけられたタイトル。 ―――――【涙のテーマ】が。 fin... |